思い出したくない人

自分に自信がある人が好きだ。
様々な「経験」という裏打ちがあり、それがその人の生き様として現れているような人。
 
そういう人は、自分の「仕事」や、生き方、ものの考え方に
人間としての幅や厚みがあり、どんな話をしても
一定の「余裕」を感じさせてくれるので、こちらも学ぶことが多い。
 
自分には何が出来て、何がまだ足りていないかということを知っている、と
謙虚に言える人は、自分を信じているのだと思う。
それが生きる上での強さなのだと思う。

私は、今や完全に自信喪失状態。
「私は私、それが何か?」と意味もなく強気だった若い頃の自分が、今は別人のように思える。
何にも知らないから、こその「強気」・・・
思えば相当無邪気でのーてんきな20代だった。。。

自信と言えば、ものすごく自信たっぷりなある人を思い出した。
彼の「自信」の基盤は、おそらく「経済力」
何かにつけてお金にまつわる「自慢」めいた話を聞かされた。
会社を経営している、と言っていたけどよく聞くと
彼の父親が築き上げた会社の一つを任されているとのことだった。
でもあまり熱心にお仕事をしているようには聞こえてこなかった。
「東大に入るより難しい」東京の某国立大卒という華々しい(?)肩書きも自慢の一つだった。
 
お金もあり、仕事もあり、学歴もあり・・・
そこまでの自信というか、自意識過剰ぶりは突き放してみれば
「はいはい」で微笑ましく見れないこともない。
 
でも、彼が一番自分に自信を持っているのが、まさに彼自身。
自分を「イケメン」と言ってはばからないその無邪気さ・・・
今まで付き合ってきた女の子達を「いろいろな意味で」満足させてきた(ホンマかいな)
「素晴らしすぎる・・・俺!」
自信、じゃなくてただのナルちゃんな彼・・・
今風に言うと、ただの「痛い」人・・・(笑)

過剰な、あるいは間違った自信は、裏を返すと自らの「弱さ」を無意識に自覚しているようにも思える。
 
彼は、最初のうちこそ仲間内でもそこそこ人気があったけど
そのうち、他者を思いやれない自己チューな人格が露呈してきて
皆から、敬遠されるようになってしまった。自らが蒔いた種であるにも関わらず
それを指摘されると逆ギレしてしまう、ひ弱な自己はもろくも崩壊してしまった。
 
やはり、人間ちゃんと自分の身の丈をしらないといけないな。
彼のことを思い出す度にそう思う
 
日曜日の夕方(午後6時半あたり)うっかりテレビを点けていると・・・
思い出したくないのに、つい
 
 
・・・笑ってしまう