中陰

イメージ 1
昨日、読み終えた。
 
「第125回芥川賞受賞作。予知能力を持つという「おがみや」ウメさんの臨終に際して、禅寺の住職則道とその妻圭子の織り成す会話から、「死とは何か」「魂とは何か」を見つめた作品。」
 
現職僧侶であり作家の玄侑宗久の著作を、読み返している
 
先日、長崎に行った帰りの機内で読んだ「龍の棲む家」が
思いがけず、心に染みた。
その時に感じた、静かな「染み入る」感じを味わいたくて、の再読。。。
 
 
「おがみや」ウメさんは自分が死ぬ日を予告していた。
近所では、いわゆる「見える人」ということで、目に見えない世界のことで
あれこれ相談に乗っていた。
お寺とはそういう世界に近いようでいてなぜかそれを真っ正面から
取り上げることは少ない・・・
特に禅宗はその傾向が強い。
なので、この主人公も幼少の時から世話になっていたウメさんについては
その「能力」や「死後」について、どう自分なりに受け止めて良いのかわからずネットで検索してみたり
物理学的に捉えようと考えてみたりする。
 
死後の世界について、了解出来る範囲で捉えようとする夫と
流産した我が子への思いから、なんとなく死後の世界について「あるもの」と受け止めていた妻
 
これはフィクションなんだと思いながらも
理解できない、というよりも衝撃を受けた場面があった。
流産した我が子に戒名もつけずお経すらあげたこともなかった夫(住職)に
妻はとがめることもなく(何故だろう?)・・・紙縒で作ったオブジェを通して
我が子への思いを温めていたことを知る夫・・・
 
どうして「そんなこと」をしていなかったのだろう?
 
私も同様に妊娠初期に流産した。
そのとき、夫に頼んで戒名をつけてもらい簡単ではあるけど家族で「お葬式」もした。
今でも、命日の七夕にはお経をあげている・・・
でも、最初夫に「お葬式、してね」と言うと一瞬躊躇していたのは
なんとなく覚えている。
 
他人の死、をある種「職業的に」向かい合うことを日々していても
自分の身に起きると途端にちぐはぐになってしまうものなのだろうか・・・
 
改めてそのことを夫に聞いてみたいような聞きたくないないような・・・
 
 
あの世とこの世の中間・・・中陰とは
この目で見ている確かなものが一瞬揺らぐ世界なのかもしれない