私の中のちいさな私

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どんなに愛されたいと思っていても
必ずしも、その願いは叶えられないこともある
 
親子関係でも、例外ではない
 
親にも事情があったのだ、親に悪気はなかった、忙しかったからしょうがない、と
自分の中で親を「理解」という合理化してしまうことは
愛されたかった「こども(自分)の声」を封じること・・・
 
「お母さん、私を見て!もっと私にかまって!話しを聞いて!私を愛して!抱きしめて!」
・・・言えなかった「こども」の私
 
ずっとずっと心の奥底で、「小さな私」はひとりでその部屋の中にいて
「私」が気づくことを待っていた。。。
 
 
先日、とあることから自分を知ろうということで
セッションを受け、思いがけず自分の心の深いところに辿り着いた
 
「良い子」になって、健気にも親のことを思いやってしまいがちだけど
それは、自分の本心を押し込めてしまうこと
 
それに気づき、認めることって
簡単そうだけど、案外難しい・・・
 
「お母さんなんかキライ!」・・・
この一言はなかなか言えなかった
 
母を傷つけてしまう、という恐怖心
母に嫌われる、見捨てられるという恐れは想像以上に大きく
オトナになり自らも「母親」になっているのに、対母親になると
いつまでも「無力なこども」になってしまう自分に気づき、驚いた
 
言葉に出して言うことは、溜めていたものを出すこと
それにより解放され、自分も相手も受け入れていく一歩になる・・・
 
今日、見ていたテレビで似たようなことをしていて
思わず見入ってしまった・・・
思い通りにならない親子関係を
「片思い」と表現していたのが印象的だった