人生の終わりに・・・
自分が死ぬとき・・・
どう「在りたい」か・・・
考えたこともなかった。
考えてみた。
何も浮かばない・・・
そこにいてほしい人
・・・息子や娘・・・うまくいけば「孫」?
親がそこにいるということは親よりも先、ということになるから
親不孝かな・・・それは避けたい。
自分の人生の終末をある程度想定することによって
そこから、「逆算」して今、自分はどう生きているべきなのか、自ずと見えてくるはず・・・
でも・・・考えても、考えても・・・
風景を思い浮かべることができない
自分の最後にはもう誰もいないような気がする
それは長寿というおめでたい意味ではない。。。
ちょっと寂しい終わり方をするのかしらん・・・