回復と屈辱と

明日は何の日?

「主権回復の日」
一部地域では「屈辱の日」


いや~、現状を見る限り「主権回復」してると本気でそう思ってるのかなぁ???

屈辱、といっても、もう・・・なんだかなぁ

なんだかどっちもどっちのような気がして
あしたは、ただの日曜日、ということにしよう


こないだ帰省したとき、「屈辱」と言う言葉が地元メディアではかなり取り上げられていた。
こちらにはほとんど伝わってなかったので、相変わらずの温度差を感じながらも
屈辱、という表現にいたたまれない息苦しさを覚えた


屈辱ってことは、自分たちだけ主権回復して私たちは切り捨てられ、その後
数十年にわたって治外法権状態にされたことへの恨み、の感情


私たち、って日本人じゃないんだもん、ある意味仕方なかったっていうか
そんなもんだってこと、わかってたはず
「同じ日本人」なのに切り捨てられた、ということは、沖縄の人達って
自分たちのこと、日本人だと思ってるんだ~・・・・って私には相当な違和感だった。
今でこそ、国籍の上では日本人だけど、本当のアイデンティティとしては
自分たちはウチナンチュ(沖縄人)であって日本人とは一緒にしないで、って思ってるんじゃなかったのか?・・・
でもなかったんだねぇ・・・

屈辱の日という言葉はその意味で私には、いやな感じがしてしょうがない

もうちょっとマシな表現にできなかったのか
確かに先人達の苦しみはわかる、でも・・・
過去を踏まえた上で、建設的にこれからのことを考える、というニュアンスにしてほしい・・・



現状が「主権回復」した状態であると言えるのかを日本人全体が考える日、
「屈辱」が、自分たちが何者で在るかを考える日であるとすれば
それはそれで非常に意義深い日であるとも言えるかな